「あるがまま」と「わがまま」の違いについて考察してみた!

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こんにちは!

頭の休息処坊の極みのノブです。

「縛られずに自由に行きたい」と考える人が多くなってきている中、

本当に縛られずに生きてるなあって尊敬できるタイプ
ただ自分勝手にやってて人から敬遠されるタイプ

の2種類が存在します。

いますよね、

勘違いしているような人。( ←ドキッ)

本日はその2種類の違いはどこか?について考えてみたいと思います。

ちょっと前に流行った言葉に「ブラック企業」「社畜」なんてものがありました。

社員への過重労働・パワハラが横行している企業のことを「ブラック企業」。

そんな会社のために自分を捨てて奉仕する社員が、自分のことを蔑むようにして言うのが「社畜」。

でありますが、最近はそういった時代のカウンターなのか

「会社に縛られない生き方」

というのが流行り始めています。

国も副業を進めるようになってきていますしね。

会社に頼らず、自分の足でしっかり立って歩いていく生き方。

そのこと自体には僕も賛成です。

しかし、会社や他人に縛られず「ありのまま」に生きていくということと、自分の好きなように「わがまま」に生きていくというのは明確に違います。

親鸞聖人86才の時に、自然法爾ということを話しておられます。(『末灯鈔』第5通)

自然(じねん)といふは、「 自 」はおのづからといふ、行者のはからひにあらず、「 然 」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからいにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。

私たちは「あるがまま」に生きたいというより「思うがまま」に生きたいと考えているのが本質的でしょう。

そこは自分の思い=我というものが最優先です。

「あるがまま」というのはそういった我の入らない、つまり「行者のはからひにあらず」です。

人間を「労働力」とみなし、搾取するような企業からは離れるべきです。

ただ自分勝手にあれがしたくない、これがしたくないと言っても誰もついてきません。

一度、真摯に自分と向き合ってください。

そうすると気づくはずです。

結局自分が周りに支えられていることに。

それは目に見えるものから、目に見えなくて自分の気づいていないところにもあります。

そこに身をゆだねることが「あるがまま」なのです。

そして僕らができることは、感謝することなんです。

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