回心が起きる前に、回心とは何か考えてみた。

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僕が大学卒業して、理学療法士として働き始めた新人時代。
皆さんも経験あると思うのですが、新人のころなんて分からないことだらけで失敗だらけでした。

脳卒中の患者さんを初めて担当した時のことです。

その方は「高次脳機能障害」という記憶がとんだり、集中できなかったり、空間の認知ができなくなる症状が出現し、さらに寝たきり状態が続いていたのもあって、筋力の低下して起き上がることさえもままならない状態でした。

そんな彼に僕は「歩けるようになる」という目標を立てリハビリをはじめました。

しかし、まずこちらの言うことが通じません。

例えば「ベッドから起きましょう。」

とお伝えしても、相手はその意味が分かりません。

ようやくジャスチャーやらなんやらで伝わっても、次は起き上がり方が分かりません。

細かく手を伸ばして!ここで力入れて!

なんて悪戦苦闘しながら伝えていると、いつのまにかもう時間が…。

そんな感じなので、歩けるようになるどころか、歩く練習すらたどり着けないのです。

しかし、その当時の僕には「歩けるようにしないと退院できない」という謎に強い暗示がかかっていました。

僕はどうやったら歩く練習にたどり着けるのか、そればかり考えていました。

そんな僕に、ある先輩が一言

「○○さん、車いすの方が今後落ち着いて暮らせるよ。周りの介護する人もね。」

毎日毎日自分がコツコツ信じて積み上げてきたものが、一気にひっくり返された瞬間です。

バットで頭をがーーーん、

と殴られた気分でした。

親鸞聖人の著作『唯信鈔文意』の中で

回心というは自力の心をひるがえし、すつるをいふなり。

という言葉が出てきます。

回心は(えしん)と読みますが、もともとの心をあらためて正しい仏道に向かうことをいいます。

つまりそれまで自力の心だった自分が、他力に転ずることです。自分の考えがひっくり返るのです。

親鸞聖人は9歳の時からずっと約20年間比叡山にこもり修行を行なってきました。

しかしそうやって修行と積み重ねても自分の悩み・苦しみが晴れないことに疑問を持ち、山を降りる決意をなさいました。

そして吉水の法然上人のもとをたずね、お念仏に出会われたのです。

その時が彼にとってのターニングポイント、回心であったというのです。

この回心。起こそうと思っても自分で起こせるものではありません。

それこそが、阿弥陀如来の働きなのです。

ここで、

「自分の考えがひっくり返る」

ということについて考えてみましょう。

例えばコップをひっくり返す。

水が少ししか入っていなければひっくり返されても、大して驚きはありません。

ところが、水が満杯に入っていたなら…。

自分の考えが長い年月をかけて凝り固まったものであるほど、ひっくり返された時の衝撃はありません。

親鸞聖人も20年もの長い間、比叡山で修業を積んだ後、回心が起きた。

じゃあその20年は無駄だったのか。

いやそうではありません。

狂うほど物事に向かい合い、突き詰めた後に、全く違う景色が見えるはずです。

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