日々の仏教語「出世」

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こんにちは、頭の休息処 坊の極み代表のノブです。

日々の仏教語前回は「退屈」でしたが、意外と評判が良かったのでちょっと続けてみようかと思います。

今僕が36歳(※2018年9月現在)なのですが、周りを見渡すと学生時代の友人や、一緒に新人時代を過ごした同期なんかが、いつの間にか役職がつき出世しています。ちなみに僕は今まで病院や会社なんかで出したことはありません。笑

辞書で「出世」の意味を調べてみると

① 世に出て高い地位につき、世間に名が知られる身分になること。 「立身-」 「 -街道」
② 地位があがること。 「係長に-する」
③ この世に生まれ出ること。出生。 「先づ老子-し次に孔子出」

大辞林第3版

とありますが、こちらももとは仏教語なのです。

そして、その意味は大きく2つに分けられます。

1つ目は「世に出る」ということです。

世というのはこの世のこと。

この世というのは我々が住む世界、煩悩にまみれた世界です。

その世界に住む我々衆生をお救いになるために仏がいらっしゃるということです

お釈迦さまも仏様です。

お釈迦さまも弥陀の本願を説き、衆生を救うためにこの世に出てこられたわけです。

もう1つは「世を出る」ということです。

これは我々衆生がこの世を出るということです。

つまり我々が阿耨多羅三藐三菩提(最高の悟り)を得て、仏になるのです。

悟りを得るというと難しく聞こえますが、我々はこうやって生きていますと、自分ではどうすることもできない現状や境遇に振り回され、苦しみもがきます。

同調圧力に屈し、自分の意見も言えず世間の価値観に従わないといけないときもあるのです。

そんな現状や価値観をひっくり返すことが「世を出る」ということなのです。

しかし、「世を出る」ということは、どうやっても僕らには出来そうもありません。

なぜなら、その苦しみの根本が「我」だからです。

他人と比較し自分の方が優れている、間違っていないという驕り。

そこから抜け出せない限り「世を出る」ことは出来ないのです。

そんなどうやっても苦しみから抜け出すことができない自分、その原因すらも分からない自分に気づかせて下さるの「弥陀」であり、「南無阿弥陀仏」であり、「仏法」なのです。

我々は勘違いしがちですが、あえて言うならば

阿弥陀如来という仏がいて、その方が救ってくださる

のではないのです。

我々を救ってくださるものを、阿弥陀如来と呼ぶのです。

その阿弥陀如来を敬う言葉が「南無阿弥陀仏」なのです。

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