洪鐘は響くと雖も、必ず扣くを持ちて方に鳴る

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こんにちは、頭の休息処 坊の極み代表のノブです。

自営業してると、勤めていたころには考えられないくらい営業の電話が掛かってくるようになりました。

これがもう、これ以上ないストレスです。

「2、3分だけお時間いただいてもよろしいでしょうか?」

と言って延々と話す方。

「いや、うちには必要ありません。」と言うと

「それはお客様を増やしたくないということですか?」

と謎質問してくる方。

時間の無駄です。僕の時間を返せ!そしてお客様からの予約の電話だと思って出るこっちの身になってくれよと、そう思うわけです。

最近は有無も言わさず、「うちは電話での営業を受け付けておりませんのでメールでお願いします。」と答えますが、その後一度もメールで連絡がきたためしがありません。

SEO対策やらホームページ作成なんかをやる会社って言ってるのに、いまどき電話かい!メールも使えんのかい!

ああ、愚痴が止まらない。

なんの話だ?(笑)

そうそう。お釈迦様の話です。←嘘だろ?

仏様の説法ってちょっと変わってるって話です。

実は仏教以外の宗教の多くは、神々はだいたい空から叫ばれます。

空から神が、「汝よ…」

といったふうにです。

神秘的に突然、神が現れるのです。

しかし仏様は、仏教は縁を待ってからお話しされます。(基本的に)

つまり

誰かが仏様に問いかける、そして仏様がそれに答える形で説法が始まるのです。

突然ではなく、どこまでも私たちにあわせた形というわけです。

これを中国の隋の国に生まれた善導大師はこう表現しました。

洪鐘は響くと雖も、必ず扣くを持ちて方に鳴る

梵鐘は見ただけで鳴るものと分かりますが、しかし突かねば鳴りません。

じゃあ突けばなんでも鳴るかといえば、そうでもありません。

また、正しく突かないといい音が鳴りません。

仏様の説法といっても、もともと仏様は我々に説こうと思って説かれたのではありません。

ただ問う人がいたからこそ、道が開かれたのです。

いくら素晴らしい音色のする梵鐘であっても、突かないのなら意味がないということです。

さらにこの時、仏様に問いを投げかけたのは「阿難」という弟子です。

この阿難も会話のネタとしてなんとなく問うたわけではありません。

阿難にとって、また周りにいる他の菩薩・神様など(その場には大勢のものがいました)にとって必要な問いだから、自然と問わざるおえなかったのです。

昨今、例えばものを買ってほしい、こういうふうに人を動かしたいなど考えた時、本屋に行くと「人を心を動かす方法」なんと言った本がたくさんでてますね。

最初の営業だっておんなじです。なんとか契約してもらおうと、どうやったら話を聞いて乗ってくれるのか、もしかしたらマニュアル化されているのかもしれません。

しかし、本当にその人にとって必要なものだったら、そんな小細工なくとも契約してくれたり、買ってくれるのではないでしょうか。

素晴らしい音がする梵鐘であれば、突きたくなるし買いたくなるものです。

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