法事ってなんのため?

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こんにちは!
頭の休息処 坊の極み代表の
ノブです。

突然ですが、僕は正座に強いほうです。えっへん

それでよく

「しびれないコツは?」とよく聞かれますが

別に何もしてないし、考えるのもめんどくさいので

「気合いです」と答えるようにしています。

大概これで苦笑いをいただき、会話が終了です。爆

まあ僕はやさしい(?)ので本当に知りたい人はこちらどうぞ

←日本正座協会(怪しい。。。)

で、正座が嫌いな人がセットで嫌いなものそれが

「法事」です。

まあめんどくさいですもんね。

団体行動しないといけないし、

ながいお経やお話聞かないといけないし、

親戚のめんどくさいおっさんの相手しないといけないし  etc.

行きたくないけど行かないといけないもの、イッツHOZI

そもそも法事なんて何のためにあるんでしょう。

親戚のおっさんのめんどくさい話はここではどうすることもできませんが、

なんのために法事に行かないといけないのかを知れば、ちょっとは行こうかなという気になるかも。

法事を勤める目的には大きく2つあるとされています。

1つめは「追善としての法事」です。

それはつまり、

生きている我々が法事をすることで亡くなった方がちゃんと浄土に往生できるようになる手助けをする

ということです。

これは昔源信僧都という方が「二十五三昧会」という二十五人の仲間を作り、その仲間全員で浄土に往生しよう、もし浄土に往生できないものがいれば何とか助けあおうという契りを交わしたところから始まったようです。

なんとなくみなさんは普段この「追善供養」の意味合いで参加することが多いのではないでしょうか。

しかし本願寺第3世である覚如上人は

「当流の門人と号する輩、祖師先徳報恩謝徳の集会のみぎりにありて、往生浄土の信心においてはその沙汰におよばず、没後葬礼をもって本とすべきように衆議評定する、いわれなき事」

とそれは親鸞聖人がおっしゃる仏事とは違うのだと明確に述べておられます。

ではもうひとつの目的とは何でしょうか。

それは「報恩としての法事」です。

法事とは自分のような本来救われないものを浄土に救いとってくださる弥陀の本願に感謝・懺悔し、讃嘆する。またそのことに気付かせてくれる縁となった方の深い願い・遺言とされた事を確認し、お念仏を相続するという場なのです。

あくまで「亡くなった方のため」ではなく「自分のため」です。

つまり法事とは

自分の生き方を確認する場

とおもっています。

「自分のため」なら行かないとねえ。。。

けど「自分は大丈夫!」

と大丈夫じゃないのに、そのことにすら気付けない人がほとんどですから。

そういう人には

「おばあちゃんのために法事に行きましょう!」

と誘ってあげるのが1番です。噓も方便。

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